2015年3月9日月曜日

20150309:サンシュユ


誰かが訪ねてくる度に、こうおっしゃいます。
「うわー、もうあと2、3日くらいじゃねー」
完全に私感ですが、この「うわー」には、
蕾が開く直前の新鮮な季節を味わえてよかった、
という喜びのニュアンスと
もうすこし時間が経ってから来れば花が見られたのに、
という残念のニュアンスが込められているように思えます。
日々の草木を見ていると、
毎日スクスク、あるいはクルクルと姿を変えるものもあれば、
じんわりと、見えないスピードでしか変わらないものもあります。
冬から春にかけての寒い時期だと、
どうも、ゆっくりとしか動かないものばかりです。
ヒトも動物も同じですね。
誰かが訪ねてくる度に聞くアレは、
もう何度も何度も、たくさんの人から発せられました。

私が、蕾ができていることに気づいたのは年明けでした。
たくさんの人の声を聞いては
「でもね、もうあの姿でン週間なんですよ」と答えます。
当然、「ン」には数字が入りますが、この数は大きくなっていくばかり。
今日こそは、今日こそは、と足繁く行っても、
昨日よりは黄色のエリアが広がったかな、と期待を込めて思うばかり。
まだまだ寒いですからね。

昨日のジンチョウゲ、その前のミツマタ、
他にもボタンやシャクヤク、それにアンズやなんかも、開きそうで開かない。
もどかしすぎて、前のめりになってしまいます。
サンシュユの花は、この一つのフサに
小さなキイロい花が20〜30も集まって咲きます。
秋には小さなサクサンボみたいな実が。
ああ、早く、早く。春に向けてフライングしたい気分です。

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サンシュユ(学名:Cornus officinalis Siebold et Zuccarini)
ミズキ科ミズキ属
日本全土で家庭の庭や公園にも植えられている、身近な落葉小高木。
薬用部位は果肉で、生薬名は山茱萸。実から種子を取り除き、果肉を天日乾燥させたもの。
有効成分はリンゴ酸、酒石酸、没食子酸のほか、
糖類、イリドイド配糖体・モロニサイド、ロガニンなど。
補腎や強壮薬、めまい、耳鳴り、インポテンツ、遺精、頻尿、老人の夜尿症などに用いる。
漢方では八味地黄丸や牛車腎気丸など重要な処方に配合されている。
(参考:イー薬草ドットコム

2015年3月8日日曜日

20150308:ジンチョウゲ

寒さと暖かさが行ったりきたり。
ジンチョウゲの花も、咲きそうでまだまだ咲きません。
私はこんなにも楽しみに待っているのに。
沈丁花
いまだは咲かぬ
葉がくれの
くれなゐ蕾
匂ひこぼるる 
若山牧水
そもそもジンチョウゲは、そう簡単には咲いてくれないのです。
花芽はこないだの秋までにできていて、
実際に咲き出すまでには、寒い中、3ヶ月以上を過ごすんだそうで。
今日は久しぶりの暖かな日でしたが、
「開くほどではない」ということでしょう。
花の開花ラッシュの始まりを告げる花、というイメージもありますが、
薬草園を一望すれば、もう咲き始めている気の早いものも続々で、
むしろ、やや慎重な感じすら漂っています。

名の由来は、『和漢三才図絵』によると、
其香烈しく沈香丁香相兼る故に、俗に沈丁花と曰う
とのこと。中国では、この芳香から、瑞香と呼ばれるそうです。

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ジンチョウゲ(学名:Daphne odora)
ジンチョウゲ科ジンチョウゲ属
中国原産の常緑低木。雌雄異株で、雌株には球形の液果が赤く熟す。
薬用部位は花。3〜4月の開花期に採取し、日干しにして乾燥させたものを瑞香花と呼ぶ。
クマリン類バニフン、ウンベリフェロンを含有していて、消炎、鎮痛作用がある。
風邪や風邪の喉の痛みに。
(参考:イー薬草ドットコム

2015年3月6日金曜日

20150306:ミツマタ



レオナルドにとって自然を描くことと自然を理解することは分かちがたく結びついていた。分岐した枝の断面積の合計が不変であるのは着目すべき点だと彼は気づいた。木の木質部は篩部および木部といい、網の目のような管状の細胞が糖を含む液体を先端から根へ、水を根から先端へ運ぶ。水路設計者としての眼から見て、レオナルドは木の枝が分岐しても枝の断面積が変わらず、これらの「管」の液体輸送能力が損なわれないことは重要だと考えた。(中略)突き詰めれば、生きものは生命を維持するのに必要な資源が組織に供給されなければ生きられない。人間のように呼吸する生きものは、細胞に絶えず酸素が供給されなくてはならないが、その酸素は気管支を経由して血液に取り込まれ、心臓血管網によって体中に運ばれる。同じように木と草も、水と養分を運ぶ維管束系が必要である。だが、分岐しているというだけでは不十分だ。重要なのは枝分かれが階層構造をなしていること、大きい枝が小さい枝に、それがさらに小さい枝に分かれていることなのである。 
*『枝分かれ』フィリップ・ボール著/桃井緑美子訳/早川書房より抜粋
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ミツマタの、どこまでいっても三等分な枝分かれは、
見ている私たちを不思議の世界へと放り出す。
最初の枝分かれから、花の直前の枝分かれまで全て三等分。
時空を超えてどの人も首をかしげて愛でたのです。
それが、「ミツマタ」という名に現れている。
私たちは自然の不思議な規則を目にし、それに愛着を持ち、
なんとかよく理解をしようと頭をぐっと抱え込む。
それをヨソに、規則正しく分かれた枝が、
「何か?」と言っているようでおかしくもあります。


私の地元はこういった和紙の原料となる樹木がふんだんにあって、
かつては日本紙幣の紙も作っていた、と聞いたことがあります。
ミツマタの靭皮繊維は短く、和紙を作るのに適している。
通常、和紙を漉くときは、枝を採取し皮をはいで釜で蒸し、水でさらして、
泥状になるまでしっかりほぐして、トロロアオイの根っこの汁を混ぜて使います。

今日は、近所の先輩がたとともに畑にジャガイモを植え付けました。
キタアカリにインカのめぐみ、ダンシャク、メークイン、アンデス。
ミツマタの花が咲きそうなのに気づいたのはこの週末で、
毎日毎日、じっと見ているけれど、今日もまだ。
寒さ引きつ戻りつで、見頃はまだまだ先みたい。
「今週末はあったかいみたいじゃけ、日曜日には」。
期待を込めて、誰かがふっとつぶやいていました。

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ミツマタ(学名:Edgeworthia chrysantha)
ジンチョウゲ科ミツマタ属
薬用部位は開花期の花蕾。これを乾燥させたものを、
生薬で新蒙花(しんもうか)とか蒙花株(もうかじゅ)という。
新蒙花の場合、根も薬用とするらしい(中国市場)。
解熱や消炎、眼病薬として、緑内障、鳥目などに。
(参考:イー薬草ドットコム
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Jim Pepper "Witchi Tai To"

Water spirit feeling
Springing round my head
Makes me feel glad
That I'm not dead

2015年3月5日木曜日

20150305:セイヨウフキ

先生に「足元もちゃんと見んにゃ〜」と言われて
ブータンヤマボウシの足元を見てみると、セイヨウフキが咲いていました。
入り口近くの木々の足元には、先生の大事にしている植物があるのですが、
冬の間、地上部には何も出ていなかったりして、
木をしっかり見てみようと近づく意欲的な人(私も)がどんどん踏み込んで
ついには地上部に出られなくなってしまうことも。
足元注意。
こんなにかわいい植物も不意に見られたりするので、
むしろ、足元も楽しみに。

セイヨウフキは、フキノトウとカタチが似ています。
(この写真のは似てないけど。もっと花がたくさん穂状につくのです)
でも、同族別種。先生曰く「これは有毒じゃ」とのこと。
調べてみると、たしかに、急性肝炎や肝不全の恐れがあるそうで、
使い方には注意が必要のよう。
ハーブとしての歴史は古く、ギリシャ時代には
皮膚潰瘍の治療など民間薬としても使われていたとか。
他にも、セイヨウフキの大きな葉を帽子にして遊んだりと、
ヨーロッパではかなりポピュラーな植物だったよう。
私は初めてお目にかかりました。

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セイヨウフキ(学名:Petasites hybridus)
キク科フキ属
薬用部分は根っこ。ペタシンやイソペタシンなどの薬効成分は、根茎部分に多く含まれている。
また、イヌリンやペクチンも含んでいる。
鎮痙作用を示し、偏頭痛、鼻づまり、花粉症、尿管の炎症改善に用いられ、
ドイツではOTC、アメリカなどではサプリメントとして普及している。
日本でも、健康補助食品などの素材として注目され始めている。
ただし、ピロリジジンアルカロイドを含んでおり、
単離したピロリジジンアルカロイドは肝毒性を有するため、
ハーブとして使うときは毒性アルカロイドを適切に除去していないものは危険。
ピロリジジンアルカロイド以外の成分も肝毒性に関与している可能性があり、注意が必要。
日本では2012年2月に厚生労働省から、消費者に摂取を控えるよう呼びかけがあった。
(参考:/Wikipedia
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Tahiri 80 "Heartbeat"

"Can you feel my heartbeat when I'm close to you?"

2015年3月4日水曜日

20150304:シャクヤクとボタン。


植物に免疫の少ない私にとって、
赤い芽が土から顔を出している光景は、ちょっと奇妙で心が惹かれるところ。
シャクヤクの芽は、見るごとに、ちょっとずつ、ちょっとずつ成長を重ねています。
この秋に掘り上げて天日干しされている根っこを見ていたので、
感慨深くもあります。そういえば、昨年のシャクヤクの時期には
中国新聞で薬草園が紹介されていました。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とは、
古くからの美人のたとえで、さらに、いずれも婦人病の薬草でもあります。

同じボタン科で花も酷似したボタンのほうは、木。
こちらも花芽がいよいよ、といった感じ。

シャクヤクもボタンも、薬用部分は根っこ。
だから、薬用にするには、根っこをより大きくするように育てます。
鑑賞用ではシャクヤクの根っこにボタンを接木することが多く、
ふつう、ボタンの根っこは横に広がっていくのですが、
こうすると、鉢でも十分育つサイズで根っこがおさまるらしい。
薬用にするには、株分けで。
植えてすぐに支柱を立てるのがポイントのよう。
薬草園ではどうしてたっけな。
ボタンのエリアに、先生がわざわざシャクヤクの残骸を残した木もあります。

薬用として根っこを使う植物は、花を咲かせないように育てるのが常。
これは、花を咲かせることでエネルギーを消費させないため。
でもやっぱり、キレイな花が見られないと、色気を感じませんよね。

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シャクヤク(学名:Paeonia lactiflora Pallas)
ボタン科ボタン属
薬用部分は根っこ。生薬名は芍薬。根の外皮を除いたものを白芍、皮付きは赤芍。
漢方では鎮痛、婦人病薬、冷え性用漢方に配合され、代表的なものに芍薬甘草湯、四物湯がある。
芍薬甘草湯は、芍薬と甘草を等量配合したもので、
急激に起こる筋肉のけいれんによる痛みに使うことが多く、
胃痙攣、神経痛、胆石などの疝痛発作にも使う。小児の夜鳴きにも。
四物湯は芍薬、当帰、川芎、地黄を配合し、
皮膚が乾燥して色つやが悪く、胃腸障害のない人の月経不順や冷え性などに。
有効成分は、モノテルペン配糖体ペオニフロリン、安息香酸、タンニンなど。
ペオニフロリンは鎮痛、鎮痙、消炎、抗ストレスに有効だが、
有毒成分でもあり、中毒症状に嘔吐や胃腸障害もみられる。
(参考:『広島県の薬草』神田博史著・中国新聞社/イー薬草ドットコム
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ボタン(学名:Paeonia suffruticosa)
ボタン科ボタン属
薬用部分は根っこの皮。生薬名で牡丹皮。根を乾燥させ、中心にある木部を除く。
シャクヤクと同じく婦人病薬に用いる生薬だが、その違いの目安は、
シャクヤクは、冷え性、月経不順、産後の疲労回復に用いるのに対し、
ボタンは月経困難、便秘、更年期障害やしもやけに使う。
漢方では、桂枝茯苓丸、大黄牡丹皮湯、温経湯に用いる。
ペオノール、ペオニフロリンを含む。
ペオノールは鎮痛、鎮痙、抗菌、抗炎症作用に効果がみられる。
(参考:『広島県の薬草』神田博史著・中国新聞社/イー薬草ドットコム
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Al Green "Let's Stay Together"

2015年3月2日月曜日

20150302:オウレン


鉢の中でひっそりと、セリバオウレンが花を咲かせていました。
セリバオウレンの花は目立ちません。
人差し指で目隠ししたらすっぽり隠れてしまいそうなほど小さくて、
透明感のある白い花びらは、周囲に完全に溶け込んでしまうのです。
オウレンは、私の実家の庭にもたくさん生えています。
この鉢の中では茶色く枯れたような葉茎なのでわかりにくいのですが、
「セリバ」の名の通り、緑の、セリに似た葉をしていて、
私はその葉のカタチが好きでよく見ていました。
花は本当に目立たない。
だから、残念ながら、あんまり心を踊らされないうちに、
花の時期が終わっているのがいつものことでした。
これは、寒冷舎にあったオウレン。緑の葉でした。

オウレンの種袋は小さく穴が開いて放射状なります。
かえってこっちのほうが目立つし、見た目にも花みたいにチャーミングです。

さて、高知の牧野植物園では、オウレンの葉をシンボルマークにしています。
ただし、こちらは、オウレンといってもバイカオウレンのほう。
バイカオウレンの「バイカ」とは「梅花」のことで、
花は、このセリバオウレンと全然違って梅の花と似ている。
セリバオウレンの葉(また撮影しときます)と違って、
葉が5枚輪生していて、これもまたかわいらしい。

薬効に違いはあるのでしょうか。
また先生に聞かなければ。

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セリバオウレン(学名:Coptis japonica var.major)
キンポウゲ科オウレン属
根茎からひげ根を落としたものを黄連、みがき黄連と呼ぶ。
主成分はベルベリン。ベルベリンとはアルカロイドの一種で、
抗菌、抗炎症、中枢抑制、血圧降下などの作用があり、健胃、整腸、止瀉等の目的で処方される。
なお、ベルベリンの特徴は黄色く着色していることで、
「黄連」とは、その黄色の根が連なっているように這っていることから。
この黄色は、同じくベルベリンを主成分とするキハダにも見られる。
(ちなみに、クチナシの黄色はクロシン)
(参考:『広島県の薬草』神田博史著・中国新聞社/Wikipediaイー薬草ドットコム

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--Kali Uchis "Call Me"

2015年2月19日木曜日

20150219:三役揃い踏み。


蕾がいっぱいついてるなーと思っていたのが今月の初め。
先週ごろには、もう咲きそうになっていたのが、いよいよ。

これは桃。
去年の夏の終わりには、大きな桃をたくさんつけていました。
あ、別の木に、ですけど。
実をつけていた木のほうは、全く蕾の兆しがないのが不思議です。
「桃」の「兆し」は妊娠の兆しを意味するそうで、
そのことから「桃の節句」なんてのはきているらしい。
花期は3月中旬ごろからとのことなので、少し早い開花となりました。



梅の花も少し咲いていました。
まだ何も花が咲いていないころにそっと咲いていたりするもんで、
普通は発見するとちょっとうれしい気分になるもの。
でも、ここでは桃の花のほうがすでに賑やか。
しかも、桃と梅は隣に立っている。
白く透明感のある梅の、楚々とした花の美しさは健在ながら、
なんだか桃の勢いに負けてしまっています。


これは桜。
年の明ける前から咲いていた十月桜なのです。
かれこれ数ヶ月もの間、ずっと咲いていて、
散りどきを忘れてしまったかのようです。
薬草園には桜が何種類か植えられていますが、
春に咲くものはまだもう少し、といったところでしょうか。

ともかく、気分に終止符を打ちそうな
バラ科の三役揃い踏み、です。

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NUJABES "MOON STRUT"

2015年2月18日水曜日

20150218:椿。


椿がしっかりと開花していました。
ただ、咲いてるものがあんまりキレイじゃない。
長い冬を待っている間に力尽きたような、
まるで葉っぱに全ての力を費やしてしまったような、
(いや、決してそうではないのでしょうが。咲いているし)
そんなふうに見えるくらいボロボロなのでした。

そういえば、理科で一番最初くらいに習うのが、
植物が育つ三大要素「水」「日光」「温度」。
畑をちらりとのぞいてみると(今日は寒いから水やりはしない)、
諦めていたキャベツやハクサイの葉っぱたちが、
新しい芽を出してスクッと立っていたのでした。
何度も何度も生きようとトライする姿はあまりに健気。
ここ数日はその三大要素が揃っていたもんね、ホンマやね。
こないだ先生が「もうあれはダメやろうから、
2月の半ばには掘り起こして他のもの植えよう」と言っていたを思い出して、
先生に思い直させるくらい、あと数日のうちにしっかり育つよう、
心の中で祈ってしまいました。
ま、でも、他のものを植えるんですけどね。

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D'Angelo and The Vanguard "Really Love"

When you call my name
When you love me gently
When you're walking near me
I'm in really love with you
When you look at me
I open up instantly
I fall in love so quickly
I'm in really love with you
I'm in really love with you

2015年2月17日火曜日

20150217:オオイヌノフグリ。

ここで書いた話かどうか、すっかり忘れてしまいました。
二度目だと気付いても、目をつぶってください。
人生で初めて名前を覚えた植物はオオイヌノフグリ。
そのときのことは、今でもしっかりと覚えているのです。

私の姉は、子どものときから、よく草むらに入っては
「この植物は見たことがない」だの「このキノコは初めて」だのと
喜んで植物図鑑で同定する、という作業を黙々とする人でした。
私の人生初の挫折は「姉と同じようにはできない」ということ。
姉がいつものごとく草むらに入っていく姿をそばで眺めながら、
あるいは、家族ドライブの道中で峠に差し掛かったときに
「お父さん、あそこに見たことのないキノコがある」と言って車を停めさせ、
黙々とキノコの同定に勤しんでいる背中を見ながら、
「もう帰りたい」と心の中で思っていることに気がついたときに、
私は植物やそういった類のものに興味を持つことを諦めたのです。
「姉と私は違う」ということを幼いながらしっかり胸に焼き付けたのでした。

その姉が、私に教えてくれたのがオオイヌノフグリ。
たぶん、まだ小学校に入るより前のことだと思います。
道端にしゃがんで「これ、オオイヌノフグリ。
犬の顔と似ちゅうき、オオイヌノフグリっていうがで」
と教えてくれたのでした。
私はどうしても「犬の顔と似ている」とは思えなかったのだけど、
姉のいうことは正しいはず、きっと、私の見方が悪いのだ、と信じて、
「?」と思いながら「ホンマやね」みたいなことを言ったのでした。

冬と春の境目の日。
コートがいるかいらないか、くらいの頃のこと。
私は毎年、ふっとオオイヌノフグリと目が合うごとに、
「あんたの顔は、ちっとも犬とは似てないよ」と呟くのです。

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Tom Misch & Carmody "So Close"

2015年2月12日木曜日

20150212:カンシュツブ(仮名)


私のメモには堂々と「ケンポナシ」とあるのですが、絶対に違っています。
これは、“明日確認しなければ物件” ですね。

水やりを再開してやたらと目につくようになったのが、ネギ。
他のものは、水も少ないし(…でも、雨は降ったよね、けっこう)、
温度も低いし、で目につくようになるほど伸びてもいないので、
水をあげていても、なんだか徒労な気分ではあるのです。
その点、ネギはスクッと伸びていてうれしい。
私が水やりを再開したから…と申したいところですが、
さすがにそれも違いますね。

いつも、畑に水をあげ終わったら、
薬草園側に向き直して、入り口から、垣根沿いに、
木々にも水をおすそ分けするのです。
これは、特に誰かに言われたわけではなくて
(いや、そもそも畑すら、誰にも言われていないのだけれど)
先生がそうやって水をやっているのを発見して以来、
なんとなく真似をしているのです。
おすそ分け最中に発見したのが、この朱色のツブツブ。
(CMYKで言うなら「M60Y40」くらいの。私はけっこうな頻度で使う)
「うわわわ、なんやこれ」と、思わずつぶやいたのでした。

この1月からの薬草マイスター講座では、
「薬草園をガイドできるようになる」というのをテーマに、
先生が薬草園の草木をひとつずつ解説していっているのですが、
そのときには、この木は完全にノーマークだったように思います。
というか、この状態で立っていたかな。
この状態だったら、今の季節ではすごく目立つはずなのに。

明日はおじさま方が来られるので、聞いてみようと思います。
取り急ぎ、「カンシュツブ(仮名)」としておきましょう。

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Madonna "Living For Love"

こないだのグラミー賞、マドンナのステージ、すごかった。
本当に50代。これで50代。ここまでくると、「壮絶な努力」すら、芸術やな。

2015年2月11日水曜日

20150211:山野草。


なんとおっしゃる方々かはさっぱりですが、
薬草園の足元のそこここに雑草が花を咲かせておりました。
せっかくですから「山野草」と呼んであげたい。

御年70ン歳の数学の先生が退職されるということで、
その最終講演のためのスライドと配布資料の制作を手伝いました。
さすがにたくさんの教育現場を渡って、
様々な生徒や学生との出会いがあって、
それらの話と、そこから先生が得た教訓に深く頷いてしまった。
作りながら、先生の話の柱は「経験できる学び」と「待つこと」だと
私は勝手に解釈したのだけれど、それで合っているかはナゾ。
「それぞれに感じてもらえることが、自ずと結論になる」とのことなので。
ま、でも、とにかく、大阪大学の鷲田先生の話、
「待つということ」を思い出したのでした。

--引用始め

待つことには、偶然の(想定外の)働きに期待することが含まれている。
それを先に囲い込んではならない。
つまり、ひとはその外部にいかにみずから開きっぱなしにしておけるか、
それが<待つ>には賭けられている。
ただし、みずからを開いたままにしておくには、
閉じることへの警戒以上に、努めが要る。
<待つ>は、放棄や放置とは別のものに
貫かれていなくてはならないからだ。 
<待つ>は偶然を当てにすることではない。
何かが訪れるのをただ受け身で待つということでもない。
予感とか予兆をたよりに、
何かを先に取りにゆくというのではさらさらない。
ただし、そこには偶然に期待するものはある。
あるからこそ、なんの予兆も予感もないところで、
それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。
その意味で、<待つ>は、いまここでの解決を
断念したひとに残された乏しい行為であるが、
そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、
きっと、待つことすらできない。
いや、待つなかでひとは、おそらくはそれより
さらに追いつめられた場所に立つことになるだろう。
何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。
だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ
待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。
わたしたちがおそらくは本書の最後まで引きずることになるであろう事態、
つまり、待つことの放棄が<待つ>の最後のかたちであるというのは、
たぶんそういうことである。 
(かなり中略) 
「あらゆる宗教の全問題はおそらく保証がないことに帰着する」
と言ったのは、J・デリダだが、そのデリダはそれに次のように続けていた。
「あるかもしれないし、ないかもしれない。
むしろ、あるかないかということは問題ではなくて、
重要なのは、あるかないかは保証されていないということなのだ」、と。
*『「待つ」ということ』(鷲田清一著/角川選書2006年)

--引用終わり

数学の先生は退職した、とは言っても、
来年からも引き続き特任でいらっしゃるそうで、
ベルトの上にでん、とお腹を乗せながら
「さすがにもう、疲れた」と、ふーっとため息を漏らしていました。

山野草は、これは完全に、待つこともなく、ふと足元を見ればあったのでした。
早く、オダマキやオキナグサの季節になればいいな。
昨年、キレイなのにお目にかかれなかったことを思い出しながら、
期待もせずに、ただ、待つのです。
昨日から畑への水やりも再開。
心なしか、植物が元気になっている気がする。
うー、サボりすぎました。

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Emily King "Distance"

2015年2月10日火曜日

20150210:新しい季節。

やっといろんなことが片付いて、先週から薬草園に復帰。
行っていなかった間にたくさんの芽吹きもあったようす。
これは、シャクヤク。
いつの間に種を植えていたのだろう。
どうやら薬草マイスター講座の方々のお仕事によるものです。
真っ赤な芽は、こうして近づいてみるとよくわかるのですが、
畑をパッと見たくらいでは判別は難しい。
だから、間違って掘り返されてしまうこともあるようです。
とにかく、芽が出てきました。

さて、薬草園の手前にハーブ園を造る案が持ち上がっています。
それこそ薬草マイスター講座のおじさま方といっしょに
私も手伝うようで(←よくわかっていない)、
テスト前、先生に「ラフスケッチを描いてや」と言われたものの、
要領を得ぬまま今に至る。
それも、今週末から作業開始しましょう。
おじさま方も今週末に遊びに来られるそうなので。

投稿していなかった分は、また追っかけながらアップします。
薬効なども追加していかねば。

2015年2月1日日曜日

20140201:カワラナデシコ。

すっかり冬の、なんにもない土の上に、
(うーん、ニッケイの木の傍…だったかもしれない)
ハッとするようなピンクのナデシコ。
本当にこの季節に咲くので合っているのでしょうか。

うちの大学の正門の花壇には、いろんなナデシコが植えられています。
医療系を中心とするこの学校には女の子がたくさんいて、
だから「ナデシコ」なのでしょうか。
ナデシコ、とても可憐に見えますが、生命力は抜群です。
私の地元なんか(高知の山奥)では、そこここに生えているのです。
あのナデシコジャパンも、可憐さというよりも、
案外とそういうところで名前がぴったりくるのかもしれません。

薬草園の入り口近く…とは言っても、
駐車場とは反対側の、川沿いの道に面したほうの入り口近くにも
クチナシの木がいくつか立っています。
それらの足元を見てみると、新しい芽がいくつもいくつも。
たしか、実がそのまま落ちたのでは発芽しないはず(だったかな?)。
鳥が食べて、とか、たしかそんな行為を経て、ようやく発芽と相成るのです。
(また調べてみます)

外はまだまだ寒いのに、春の兆し。

2015年1月2日金曜日

20150102:番外編。雪。

私の実家は高知ですが、いわゆる、
海の近くの南国的なアッパーな高知とはかなりイメージが異なります。
四国山地の山頂の村に私の家はあります。
正月が明けると、目の前には銀世界が広がっていました。
私は2日に高知から出たのですが、
車での山越えは、時速40kmでもスリップが怖い難所となりました。
たくさんの、スリップをしてしまった車にも遭遇しました。
写真は、道路の壁面にびっしりと付着した雪です。

写真を愛する父曰く「雪は余計な情報を覆ってくれる」とのこと。
確かに、全部が真っ白なので、家の壁の青いのとか、
木のクネクネとした形状が際立って見える。
いつもなら大きくてイカツいトラックの方々も、
こんな日には出番などあるはずもなく、
てっぺんに雪を積もらせて、駐車場に肩を寄せ合っているように見えました。
この壁面の雪模様の後、クルマで走り去りながら、
氷麗の暖簾に隠されたお地蔵さんが目に入りました。
道路のそこら 中の標識も雪帽子を被せられて寒そうでした。
「雪で物語が生まれるもんなんやな」と思い、
そこここでイメージが膨らんで胸がキュンとなるのです。

いやしかし、さすがにこの豪雪を予想してなかったもんで、
街履きのブーツでは車外に出る勇気などなく、
信号待ちのその隙間に、またはちょっと休憩のときに
窓からの風景を撮るにとどめました。



単なる証拠写真ですな。


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--Bill Withers "Lovely Day"